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本当に手渡したい服

October 11, 2024

  • Diary

最近の仕事の中において、企業は成長すべきとか売り上げを伸ばすべき、という観念にどうもつまずいてしまう。

正確に言うと、やる気を持っていつも働いているものの、ふとどうして半年に1回ドラスティックに印象を変えたコレクションをやるのかを自問自答してしまう。

エコフェミニズムと言う概念に出会ってからは、より今の資本主義だけが世界ではないと思うようになってきてしまった。あまり詳しくはないので引用すると、エコフェミニズムとは人間による自然の搾取が引き起こす環境破壊と、男性優位の社会の中で女性を取り巻く不平等の根本の構造は同じで、この価値観をオルタナティブなものに変えていかなければどちらの問題も解決しないという考え方に基づくもの、だそうだ。

エコフェミニズムにはいくつかの種類があって、スピリチュアルな要素を含んだものもあるが、今よく考えたいのはソーシャル・エコフェミニズム。男性と女性という分け方よりむしろ支配 / 被支配という観点で見た、資本主義経済のシステムの中で利便性や経済性を重視することによって、人にも環境にも害が及ぶという考え方。家父長制的経済システムの中でないがしろにされてきた、身体や命やメンタルヘルスを重要視するということと、環境や自然を守ることは通じている、ということ。

このエコフェミニズムの実例は、調べると環境問題(水質汚染や森林伐採などの)が多く、それに気づき問題提起するのは女性が多いという内容で、調べるうちに私がもやっとしている内容とこれはまた少し違うような気がしてきた。

家父長制や資本主義によってより多くのものが消費されている事実はあるので、不要なまでにものを生み出したくはないという話には繋がるが、作った服を多くの人に届けたいという思いはある。(これぞ!という服こそ卸には地味すぎて売れないのだけど、、)

人生にはたくさんの支出があって、服より大事なことがある。必要な服だけを買って欲しいし、適当に着ない服を買わないでほしい。特にウィメンズは、いつも新しいものを求められるし、お店に並ぶ服は華やかさを意識しているから、本当にいつも着るものとのギャップも生じる。

いつも百貨店や大手セレクトショップで丸い肩の服を買っているような生真面目な女性が、少し肩の尖った服を着たときにその人の強さや存在感を可視化できる装置になれれば嬉しいと思っている。

とはいえ、、先日行った地元にあるオーベルジュのレストランsowerでの大変美味な料理の中に秘めたアグレッシブな内容や突き放す風味は、自分の食体験を新たな領域に届けてくれるものであったし、それを服に置き換えると、毎日着れる服だけが必要な服というわけではなく、ある一日のためであっても、新たな領域に連れて行ってくれるための服もまた必要な服と言える。

J'aime ton corps

March 22, 2024

  • Journal

日常のありふれたところに愛を感じている
何事もことばにすると軽薄になり消費されてしまう感じがあって、何かをテーマにすることの意味をそんなに感じない。だって服はだれかの手元に渡ってからの方が時間が長いし、そこに作者が意図はいらないと思うから。正直1シーズンの中で、テーマは10回くらい変わる。
一人でどこへでも出かけられる女、RIVER、体と布の距離、BODY LESSON、
I love your body, 存在の耐えられない軽さ、、、
ムードとしては、戦うのはもう一旦良いや、もっと人の体を愛でようという気持ち。体に対しての布のリアクションの積み重ねで服ができあがっていて、その肌と布の距離の差を考え続けていた。人の体の曲線を愛でて、綺麗なその曲線をどう隠したり、袖や裾からどう足や腕を出すかをずっと想像している。
あとは自分たちの好きなものがやっぱり日常やふつうの生活の中にあったり、普通すぎて忘れられがちだったり、価値のないもの、失敗したものなどを愛しいと思う気持ちを大事にしたいと思った。
カウンターカルチャーは言葉的に近いけどしっくり来なくて、そんな言葉はないけどカウンターファッションみたいな雰囲気の言葉をさがしてる。
日本各地を旅して、昔から好きなライトの建築を見て、人は自然とともにあることで健やかな心を保てるという気持ちは再認識できた。湖と森の間で育ってきたこともあるので、自然に近い有機的な雰囲気や自然由来の素材は、元の場所に帰ってきた感を感じる。川や水の存在もそうだ。
人だから、数ヶ月の間でいろいろと考える。1つのテーマに絞ったときの、そのテーマの軽薄さったらない。

存在の耐えられない軽さの映画を見ながら、まだ蒸し暑い8月の夜長。2023.8.28

My Favorite Dress

February 1, 2024

  • Journal
PHOTOCOPIEUは2019年AWより開始、目まぐるしく季節が過ぎる中であっという間に10シーズン目を迎えました。
今回のOFFICIAL ONLINE STOREオープンに向けて新たに編集し直したMy Favorite Dressのラインナップは、ブランドが気に入り保存してきた各シーズンのドレスと、それにまつわるスタイリングアイテムの群像です。
シルクのドレスを毎日の仕事着としたい思いから、シルクのドレスと併せて着用したいインナーと、シルクのドレスのイメージを反転するワイルドなデニムを選びました。
デザイナー書き下ろしの商品説明文を配し、それぞれの服のストーリーや背景を交えた商品説明にとどまらない膨らみをもった文章をと準備いたしました。ぜひ併せてお楽しみください。
シーズンを超え既存の販売形式にとらわれない、ブランドの生活意識を通して再構成したラインナップは下記よりご覧いただけます。

性の役割の歪

January 8, 2024

  • Diary

子供の頃のおぼろげな記憶に残っている北斗の拳。よく考えたらストーリーも何も知らず、お前はもう死んでいる。の口癖しか思い出せなかったので、一からアニメを見てみることにした。
昔のアニメが好きで、手描きの線の表現と、色彩構成の妙が刺激的だ。
また、ケンシロウの正義が強すぎて口が悪くすぐ殺してしまうところも、普段と戦闘時の躁鬱感も見てて笑ってしまう。ここでも、正しいのに面白い、という条件。
面白いけど、フェミニズムを知ってしまっている私には納得できないセリフや態度が次々と。。
子供の時にこういったアニメを見て、女は守られるのが幸せだと、
男は痛みを我慢するものなのだと、刷り込まれていく。
女が強くてもいいし、男も痛くて泣いてもいいんだぞ。

昨日は映画AALTOを見た。やっぱりAlva Aaltoは偉大だなと喜びのため息をつきたくて見に行った自分を裏切り、全く尊敬できない人格のAlvaと、妻のアイノとアリッサとのやりとりに心が痛む。
Alvaは口が上手で処世術に長けた自由人。アル中風。
アイノはAlvaと子供と仕事を愛した。わたしはAlva Aaltoの建築はそこまで惹かれてはいなくて、人のフォルムや温かみを感じさせる家具やインテリアが好きだった。
Altek のaltekらしさはアイノが作ったものだというし、私が好きなのはアイノだったんだろう。
アイノはAlvaの振る舞いに何度も機嫌を損ねていて、それに追い打ちをかけるようにAlvaは横柄な態度をとる。
アイノ、もっと自分にストレスのかからない生き方を選んでもいいのに、、!
それでも私はあなたにぞっこん、今まで以上に愛してる。という手紙の内容が泣ける。

アイノは病気により54歳で他界。
アイノは幸せだったのだろうけど、幸せでないこともあっただろう。
今よりももっと女性が仕事をするのが難しかった時代、尊敬する夫と子供を持ち、自分の好きな仕事もできて、外から見たら充実しているように見えたと思う。
もっとアイノがAlvaのことを気にかけず心地よく暮らせていたなら、もっと長生きできたのではとも思ってしまうし、仕事ももっと好きなだけできたかもしれない。
それでも、Alvaのいない人生は考えられないと思う気持ちもわかる。
今でも多くの働く女性が、キャリアか出産という2択に迫られているなかで、アイノの存在は希望とも言えるし、アイノもきっと、たくさん悩みながら生きたんだろうなと思う。
そう思うだけでも勇気が湧くし、明日を頑張れそうだ。

読書が不得意で上野先生の女ぎらいを読むのに1年くらいかかった。
救いがなかなかなくて、読んでいくうちに精神的にダメージを食らって、もうだめじゃん。という気持ちになり精神安定剤の処方をもらうまでに。
最後の方の、

フェミ二ストとはみずからのミソジニーを自覚してそれと闘おうとしている者のことだ

という言葉でやっと救われ、読書を終われそう。
いつだって悩んでいて、より良く生きていきたいと思っている。
女という性別に生まれたが故の複雑で根深い自己嫌悪を、一生かけて解きほぐしていくんだ。

本当のミューズ

March 2, 2023

  • Diary
中学生3年生の私は、絵とファッションが好きだったから服のデザインをしたくて美術科のある高校に通いました。
無意味なのではないかと思いながら、ひたすらデッサンをしてものを見る力を養いました。真っ過ぐに線を引くことにひたすら集中しました。
高校を卒業してからは、画材が生地に代わり、表現の幅が広がって服作りに熱中した。同時期には原さんや深澤さんのデザインの本に感化されて、川久保さんとの面接で負ける服が作りたいと言って嗜められた。
会社員時代の4年間は手は動かさないで服を作った。でもどこか枯渇していて、枯れた心を潤すようにパリに行って、また別の角度の感性からの服作りを体感した。自分のブランドと会社を始めて、5年経った。まだ生地と戯れることに飽きてない。
私は、ただ服を作ることが好きなとても地味な人です。

気持ちの向かう先は、いつも陰ながら努力をする人。
誰も見ていなくても、自分の信念のために手を抜かない人。
とても美しい、理想の姿。
服を、どんな人に着て欲しいかと聞かれる。
おしゃれに無頓着に泥臭く働く人にこそ、その姿を讃える佇まいを付与したい。

品格への道のり

October 9, 2022

  • Diary
最近、インスタなどですごくいい雰囲気を作っているブランド、女性のエンパワメントを掲げているブランドの商品を購入してみては、実物を見て、着てがっかりしたりしてる。A la base, 蹴回し足りなくない?など。
女性の服、見た目・効率重視が変わっていない・・・?

ブランドを形成するにあたり、最初に作ったコンセプトの言葉。フランスで生きる女性への共感を形にしたいと思い、その言葉をしたためた。7シーズン目のコレクション、ここ最近ずっと大事にしているものは、品格、というキーワード。
生地屋さんや工場さんと話すときの、メンズは本物志向だけど、女性ものはそこまで求められないというたわいもない会話の中にひそむ違和感。
女性ものだから、トレンドもので、安い生地で、簡単な仕様で、、、?
私はフランスでクリエーションにかなりの時間を割く現場を体験していて、以前の日本の企業で企画していたようにはもう服を作れない。毎回ひとつひとつに膨大な選択肢を思いつきながら、その中で全体のバランスや構造のことを考えながら足し引きしていく作業は効率とは真逆の方向で、誰に頼まれているわけでもないけれど毎晩遅くまで、細部の仕様を夢見ている。いつもそればどこに向かっているかと言われると、品格への道のりだと思っている。
内面に品格を感じる女性に見合う、確かに考え抜かれた、本物と思えるようなものに囲まれて生活してほしいし、食してほしいし、体験してほしいし、その人の品格を下げない服を着てほしい。
そしてそれは女優など特別な人だけではなくて、どんな立場や環境の人でも気高くいていいし、自分を高めるべきだし、誰かの様子を伺って幼く装う必要なんて全くないこと。

そして、私は日本というミソジニーと効率主義という2大巨塔の逆境のなかで、自分が一つの会社とブランドを運営するものとして、このブランドの作る服だけは自分の良心の塊で、ピュアな理想の原型だと言えるものを作っていきたいし、それを守りたい。
この文章を書いている間はたくさんの理想的なアイディアが頭をよぎるけど、会社の運営と服を作っていく具体的な数えきれない作業の中で、その理想はおぼろげに。
初めてのメン募をしてみる。
私は自分がデザイナーではなくてもいいとも思っているし、PHOTOCOPIEUという船が多くの同じような理想を抱く人たちの集う場所になればいいなと思っていて、
その中で新たなデザイナーが作るPHOTOCOPIEUのドレスも見てみたい。
フェスを提案したい人がいてもいいし、何をやっても向かっている方向が同じなら良い。
今は私ひとりの企画では会社の経営もあるし年2のコレクションが精一杯。
メンバー求む。

復讐という名のモチベーション

February 6, 2021

  • Diary
表現の一つとして女性軽視のなにかを取り上げたくなかった。
自然と、空気のようにその状態を維持して、
自分の自然な態度を通して、それを昔の出来事のように感じ取りたかった。
自分の怒りではない部分の琴線に触れることを形にしていきたかった。
リバタリアンだし、国とか大きな動きとかはどうでも良いし。

でも、目にしてしまい耳にしてしまうこと。
わずらわしい上に、当の男性諸君は基本的には誰も切羽詰まっていない。
男性に生まれた時点である面では今の日本では勝ち組で、高みから見てる。
それに気づいておらず、男女はすでに平等だと言う人の多いこと。

初めて入社した会社で、これは何かがおかしいと思った。
新入社員歓迎会、女性新入社員はそろって社長に料理をいち早く出す競走から始まった。断ったら、上司に皿を渡され、アピールしてきなさいと言われた。勤続の長いとてもよく仕事のできる女性は、子供ができると時短になりその分給料は大卒初任給より少なくなった。その人は入ったばかりの男性社員にお茶をくみ、掃除をしなくていいとも言っていた。役員がすべて男性の様。男性は役職がつくように優遇され、女性はいつまでたっても安いお給料のまま。お酌をする教育をされること。好きな服が作れているんだから安い給料でもいいだろと言われたこと。裁量労働制という名のデザイナー職(女性のみ)の残業不払い。
ここにいたら自分はなりたい自分にはなれないと思い退社した。
最後に常務へ挨拶に行くと、お前が変わってしまって悲しいと、昔は大人しくてそんな口答えしなかったのにと言われた。(どっかで聞いた事のある話)

フランスに行ってからも、日本よりも女性が強いし平等を感じる国ではあるが、それでもなお問題はある。男性による女性へのDVや性被害などは多いし、それにまつわるデモもよく起こっている。知り合いの女性はフェミニストで、男性に危険を感じ、同性愛者になろうと努力している。

韓国の82年生まれキムジヨンは、映画を先日見にいきましたが、本当に泣けた。自然に女性はキャリアや苗字を剥奪され、子供を背負って生きていく。
私の父親も母と離婚してから母に養育費を一切払わなかった父親の一人ですが、そのおかげで私はパクセロイ並みの執着心で自分のありたい姿を追い求め、母が私に使った時間を取り戻そうとしている。

やっぱりこの問題を私はTシャツの柄にはしないだろう。
服は次の時代の理想を形にしたものだ。
強くて知的な姿勢、それだけで十分。

悲しいことは強くなる前ぶれ

May 29, 2020

  • Diary
元夫は基本的に優しく面倒見がいいけれども、それでも分かり合えないところがあった。どうして私の言うことより自分の言い分を押し付けてくるのか。二人の中で私の意見はどうして夫の意見より重要視されないのか。
それは社会的な差。女より男の方が強い、小さい男より大きい男の方が強い、貧乏な人より金持ちの方が強い。たくさんのヒエラルキーの中で人は生きていて、だからこそヒエラルキーの上にいる人は弱い人を助ける優しさがないといけない。
ある人は、その彼女と対等な関係だと言った。明らかに対応な関係ではないのに、対応な関係だといって、自分は自分のやりたいようにやる人間だから仕方ないんだって。その場合泣くのは女。
私の元夫はもう少しマイルドでしたけど、男性の中には、自分が強い立場であるということがわかっていない人が多い。声を張りあげることで、相手を萎縮させてしまっているのを気づけていない。

この2020年に、いまだに白人警察が黒人を殺害した。
いつまでこの世界は最悪なんだ。

私は強いから服を作って発表するのではない。
弱いから、少しでも強くなって、この世界をマシにしたい。

女性変遷

March 4, 2020

  • Diary
某アパレル社長のセクハラ(それ以上)の件で、自分の昔の経験がいろいろと呼び起こされた。。
社会に出るまで、自分は一人の人間でしかなかったのに、
仕事を始めて、有能でも役職にもつけずに薄給で、男性の周りで尽くす女性というのがデフォルトの女像ということに驚きながら受け入れた。あらゆるところで男女の格差を目の当たりにした。
フランスへ行って、男女が対等な社会を知った。強い女と対等に渡り合えない男は言葉が完璧ではない外国人女性をマウンティングしようとした。立場を使ってセクハラしてくる奴もいた。フランスでも格差はあるけど、強い女性は多かったから勇気を持てた。
男に愛されないといけないのは自分一人で生きていけないからであって、社会的な立場が対等であれば媚びる必要はない。どこかでいつかの自分と同じような思いをして傷ついている女性がいるかと思うと心が張り裂けそうになる。
日本に帰ってきて時代は変わったと思っていたのに、いまだにこんなことがあるなんて信じられず、某会社の女性社員みんな引き取ってフォトコピューのドレスをプレゼントしたい気持ちでいっぱいです。(それくらいのことができるようにがんばります。)

終わりがわからない

October 25, 2019

  • Diary
量産を進めながら新たなシーズンのことを考えている。この時期は通勤途中などに何が本当に必要なものなのかをずっと考えている。
ずっと考えながら、いつもの生活の中で、いつもとは違う土地で、故郷で、友人との対話で、始めて会った人とのやりとりで、見つかっては更新されていき、手を動かしながら、生地を見つけながらの過程でだんだんコレクションが立ち上がってくる感じだ。
最初はフレッシュなものに惹かれた。若々しくて軽やかなもの。大胆なもの。分かりやすい提案を心がけて頭の中で計算しながらコレクションを組み立てようとする、蒼いジェネレーション。
蒼いジェネレーションの後には挫折があり、もう少し周りを見ようとする。現実の中での必要性を考える。現実的な着地点と共に、より明確なアイディアが出てくる。素材を生かすところからデザインは始まるので、見初めた生地のより生き生きした状態を探る。
トライ&エラーを繰り返し挫折を何度もしながら少しずつ形になりながらも、本当に求めているものの着地点は見えない。いつだってテーマは最後まで(最後になっても)決まらない。
様々な外的要因もコレクションを作る。思いがけず生まれた異物も、一つのアイデンティティとしてブランドを形成する一つの細胞となる。

そういえば現在Camille Henrotがオペラシティで展示をしており、数年前に見たPalais de Tokyo(パリ)の Days are dogsの展示が衝撃的(というか、やさしく犯されていく感じがとても気持ちよく興奮した)だったこともあり、数年ぶりに作品を拝見できた。
多くの神話をリサーチし自分の解釈で感覚的に新しい一つの神話として編集し成立させていくその物語の中には、整理しながらも溢れてしまうものや予想外に生まれるものがあり、それを受け入れながら世界は構成されていくという。実に女性的な編集の仕方に、本人の話す姿に優しく革新的な気分になった。


答えのないことを良しとしているわけではない。できるなら単純な答えを作って安心したいけれど、分かりやすいプレゼンをして納得させたいけれど、物事を明確にすることでゆらゆらした気持ちの移ろいが消え去ってしまわないかの方が不安である。
できる限り緩やかで生々しいままの状態を保ちながら思いを届けたい、

分かりづらい真実よりも明確な作り話に引っ張られがちな世の中だけに、
自分に起きた、自分の感じた本当のことだけに情熱を持って生きていきたい。

熟れた理想の種

January 28, 2019

  • Diary
今はパリ。展示会前のシューティングはほぼ終わり。
フランス語は、自分を自立させる。日本語のかくかくして硬い、さらに自分の甘えを帯びた発音が、フランス語を始めるといきなり子供の話し方だったように距離をつくった。

以前のブログの文章を読み、比べるとわたしには理想ができた。人は自分の育った環境によってキャラクターや振る舞い、できることが違うと思っている。
やはり日本の女性というのは未だに社会的に優位性が低く、昨今もゴシップからして残念なものが多い。私は家族から、女の生きがいとして男性に尽くす姿勢を見せられてきた。女性は辛い思いをしても我慢するもの、という姿勢をまざまざと見せつけられてきた。その教育は、実は今でも自分の中にこびりついていて、男の言うことを聞いたり、尽くすことへの気持ち良さを感じている。自立して生きたいという自分との葛藤をしながらも。そしてその葛藤が自分の衝動の源だと思っている。もう身近な女性が我慢しなくていいように、自分の権限で決めて、自分が一番輝けることに専念できる世の中を作りたい。女性が家に入るという教育なんかもう今はされていないかもしれないけれど、その教育を体感したものとして、自分の感じてきた摩擦への解決策を自分のできることの範囲で具体化していきたい。

北欧の女性の社会進出のきっかけは労働者不足を補うための国策だという話を聞き、ヨーロッパの女性が強いとか、そういうものは作り出されるものであろうと思う。自分もこの違和感への気づきは私の家庭レベルの人間がパリで生活できたというグロバリゼーションによる外的な影響によるものだと思うけれど、そういう社会の全体感のなかで、現代の女性にとってしかるべきイメージを作っていければと思っている。

ここではないどこかへ行きたい衝動

May 7, 2018

  • Diary
以前、灰野敬二さんのインタビューを拝見して以来、折にふれてこの言葉が思い出される瞬間が多々ある。
そのインタビューで、灰野さんはプロの話し方として、イメージで語るのではなく、実務的な方法論で話すという作法で語られていた。事象の全ては理由を持ち、全てにスタートがあり、ゴールがある感じだ。イメージで終えることが許されそうなその仕事の、自分の思想を他者に共有させるための言葉として、たくさんのものがそぎ落とされた骨みたいな言葉として、どういう気持ちで一音一音を鳴らしているかという問いかけに対してその言葉は発言された。
ここではないどこかへ行きたいという気持ちをもって一音一音を弾いている。観客はここではないどこかへ行きたいと思って自分を見にきているから、それに応えるために自分はみんなのいるところとは違う極地にいようとしてる、そんなようなことを言っていた。要は、イってる人を見たいというお客さんに答えているということだ。
この言葉はすでに自分の中で何度も反芻されて、自分の中で初期よりより肉付けされて自分の中で生きている。

ここではないどこかへ行きたい気持ち、とはみんなが持っている衝動。ずっとデスクに座って働いているとどこか違う国に旅行に行きたいし、愛する子供を寝かしつけた瞬間に別の人生があったかもと思いにふけることなど。
人はいつも自分の人生を2つ選べない。何かに時間をとられると、なにかができない。気持ちいいだけでもそれすら平凡になって、一見幸せでも、もっと胸が締め付けられるような出来事を夢見る。女の楽しさを知りながら、男性性に憧れている。このここではないどこかへ行きたい気持ちは一向におさまらない。叶わなければ叶わないほど、まとわりつく。

その衝動を緩和する方法として、3つくらいの心のふるさとをつくることは一つの方法だと思う。これは社会学者の受け売りだけど(宮台さんだったか)、1年のうち数ヶ月は住む場所を変えたり、いくつかの信頼できるコミュニティを持ったりして、ここではないところにいる自分を体現できれば、平凡に陥って消沈することもない。
それはときに人に言いづらいことかもしれないけど、自分の平凡から真逆の状況は自分を満たしてくれるに違いない。特に日本は法令遵守、善人であることを重要視する国民性なので、透明性のある人でい続けるためにその人の裏はひたすら隠され続ける。けれどそれが確実にあるはずだけど見えない状況は、その人をよりエレガントに見せる気がするんだ。ここではないどこかに行けている人は、人が決めた道徳を軽々と超えて魅力的に映る。

理想

October 30, 2017

  • Diary
司馬遼太郎の何かの本で、大阪の人は技術はあるが理想がない、東京の人は理想はあるが技術はない、という話があると聞いたことがある。
フランス人は理想を持ってるけど働くことにあまり積極的ではなく、日本人はお金を稼ぐことはできるけど理想を持ってない、ということも言えると思う。
そう思えば、私は理想を持って物事にむかっているとは思えない。私のものづくりの動機は、いつでも自分の狭い世界の外に飛び出すための一つの方法だった。何か懸命にものを作ることで、次のステージに行けた。目標とするデザイナーに会えた。フランスに来れた。いつも自分の世界が狭いと思っていた。今、ヨーロッパでの生活は4年目で、自分が井の中の蛙だとは思わなくなった。
そういう状況においても、自分の理想よりも、人の掲げる理想は眩しい。でももはや、服のデザイナーで感動する理想を語る人はほとんどいない。むしろ、仕事人としては理想を語るだけではアウトなので、実務を語るべきでもある。

とは言いつつ、理想は経験によって培われるものなので、気質的に理想のないタイプだったとしても、新しいものを作り出す努力によって理想は創造できる。その努力がオリジナルの理想を作り出す手助けだろう。初期衝動を大事にすること、万人に共通する根源的な理想も、可能性がある手。

宮崎駿さんが、理想を失ってはいけないとおっしゃっていた。
ファッションの理想は、もはや節度あるということと思っているけれど、もっと別の視点から見た、より心に響く理想もあるはずだ。

マルジェラとそのエルメス

August 24, 2017

  • Diary

アントワープでやっているマルジェラの展覧会に行ってきました。

展示は、他の写真でも見られるように双方の共通点のある服を並べて展示し、マルジェラが2つのブランドをどう呼応させたかというものが一堂に見られる展覧会です。
多くはモデルが着用する映像や、その当時作られた映像、写真と一緒に展示されていて、当時の背景と共に見られるようになっています。
全体で118体の洋服(マルジェラとエルメスが半分ずつくらいで)あって、15くらいのテーマをごとに紹介しています。シルエットとか、レイヤードとか、ニットとか、、etc.

展示は同じように、繰り返し、2つのブランドをあらゆるテーマで比較します。最初のうちは行儀よく2つのブランドの仕上がりを比較しながら進むのですが、だんだんそれを繰り返しているうちに、この二つの服の違いを頭の中でぼーっと考えていきます。
彼はデザイナーとしてほんとうに優秀だなあと思う。この2つの何が違うかって、マルタンマルジェラの服は、そのアイディアやクリエーションでそのどこにでもありそうなただの生地をめちゃくちゃ価値あるものに変換してる。どんな生地を使っても価値を増幅させるのがデザイナーの仕事だとしたら、すごい仕事人だ。ここ数年、高級品をつくることに専念している自分の中に爽やかな風が吹いた気がした。

そうやって足を進めて行くと最後の方にhermesのlosangeをテーマにしたブース。スカーフをケープにしたエルメスのシックな黒のトップスがあり端は手できれいにまつられたいかにもシルクの高級品、その奥に、古着屋に売っていそうなスカーフを組み合わせたマルジェラのドレスと、その時期に作られら歓声の上がり続ける映像。
マルジェラが、guerrisol(ゲリソル、パリにたくさんある安い古着屋)に行くのも好きだったと聞いたことがあり、その映像と服の背景にパリの18区にある古着屋の古着の山で探し物をする混血の親子を想像した。
一つのアイコニックな高級スカーフのイメージと、1ユーロの服を選ぶ人が一つの線状に並んだ感じがして感動せずにはおられなかった。歓声が全ての生を祝福しているように思えた。何度か展覧会を往復したけど、毎回最後のその場面で涙が出た。
時代的にはエルメス2004年のアイテム、マルジェラ1992年のアイテムと遡るけれども、逆に深層に入って行くような感覚でつながっていった。
自分なりの文脈で、ある意味うがった個人的な見方かもしれないけれど、自分の知識の中でそういう風に展覧会を見ました。

どこかで知っているひと

July 14, 2017

  • Diary
深緑の一人がけのソファに座った誰かの父親が
ジャズなどを好みそうなお父さんが
ウイスキーを何日も放置したような表情で
私の頭の中に15年間くらいそうやって座っているけど
あなたは誰

スーパーラヴァースな頃

April 9, 2017

  • Diary
若い頃FURUITSという雑誌がバイブルで、原宿の道端に座るロリータやデコラ、サイバー、古着な子たちに憧れた。インターネットを知らない時代、その服はどこで手に入るのか、本当にこの街は存在してるのか、情報に保守的な田舎の家で育った私にとって雑誌の中のことはある意味ファンタジーであった。その中フェトウスというサイバーブランドの通販を取り寄せて、お年玉でその範囲で買えるカットソーとかを買ったな〜という、甘酸っぱい思い出がある。。。。。

ユースカルチャーを扱うブランド、多いなあ〜と思っているんだけど、あまり好きではないと思ってるんだけど、ふと今の東京の若い子がしてるサイバーなファッションを見た瞬間胸熱になる。
人は若い頃得れなかったものを求め続ける、とか中学生時代の自分を許すためにがんばり続けるとか聞くんですけれども、自分のユースの時代に背を向けてきたものとして、自分とユースカルチャーのつながりにもう少し思いをめぐらせてみたいと思いました。
大人だから、成長したからこそ求める、ユースカルチャー。ってあるなあ〜と。
大人になってから感動するものや映画、音楽は数多くあるけれど、若い頃に熱狂したヒリヒリ感を越える感情とは別物で、タイムカプセルのように一旦埋めたら追加できないものなんだと思う。

APRIL 04TH, 2017

April 4, 2017

  • Diary
ゾゾタウンとか日本のECサイトとこっちのサイトを見比べて、目を見張るほどに体の意識について違いを見つけることができる。
最近はずっとヨーロッパの服に慣れているからこそ久しぶりに自分のふるさとに帰って、ちょっと仰天した。
ヨーロッパ特にフランスはバロックの時代があって、装飾に対するキャパシティが広い。日本は着物という同じ形の中で表面の布地にこだわってきたけど、その片鱗はありありと日本の現在の服の中に見てとれる。いわゆるシャツ、いわゆるワンピース、いわゆるスカート、カテゴライズの枠組みがはっきりしていて、変形の仕方が硬い。フォルムのドラマチックがもたらす恩恵に、あまり執着心がない。関心がないというより、体のカーブをいかに魅力的に見せようとするという感覚が存在してなかったからなぁ。それよりも、色の変化や刺繍とかに愛着が湧くのだと思う。
日本でよくある、バレル(樽w)ワンピースのお決まりのフレーズは ”すとんとしたシルエットで腰回りのシルエットをカバー”で、確かに痩せては見えるんだけど、そういうシルエットの見えないワンピースの多いこと。ヨーロッパだと少しぽっちゃりしてても、どうやって体のカーブを魅力的に見せるかって言う方向に行くと思うんだけどな。
実は私は昔からワンピースが好きじゃなくて、ワンピースというだけで女の子らしいとかデザインが過ぎたり、ふわっとしてたり、逆にボディコンシャスだったり、シックすぎたり、カジュアルすぎたり、とにかく似合うものがなかった。数年前プラダのワンピースを古着屋で見つけて以来、ワンピースの可能性は広がったっけれど、それまでは縁遠いアイテムナンバーワンだったな。ってわけで、生まれて30年、服づくりを始めて10年たった今自分に似合うワンピースができたので、同じようなしっくりきてない人たちに着てもらえたら嬉しいと思っている。

理想に燃える人

March 25, 2017

  • Diary
4年間日本のアパレル企業でデザイナーとして働いたあと、パリに来た。学生として、言葉も、モードのルールもわからなかった学生の1年目。フランスの企業でモデリスムとフランス語に勤しんだ2年目。3年目、デザイナーアシスタントとしてデザイナーの近くでその判断に身を任せつつ自分とのギャップを精査することで精緻な理想を積み上げてこれた。
更に去年30歳になり、今までわからなかったことの多くがわかるようになってきた。自分の出地や、もののあり方についてなど。既に全ての発見を細かく思い出せないけれど、徐々に自分の芯がしっかりしてきて、ぐらつきが少なくなってきたイメージだ。
デザイナーアシスタントとしては3つのメゾンで働いたけれども、いつでもその中心に自分がどうありたいかを据えることができていた。合理主義的に教育されてきた身として、それは一度会社に入ってしまうと簡単に曲がってしまうもので、今この最大限尖らせてきた理想をどの方向に向けるかという状況になってきているわけだ。

幼いころ、使い捨てカメラを初めて持ったときに、切り取ったもの、構図、撮りたいと思った気持ちを覚えている。
旅行先の遊園地の土産物屋に並んだ、カラフルな量産の小皿の、同じものが重なっているのがきれいだと思って横から撮った写真。本能的に撮った記憶がある。
そのころ両親はもう離婚していたけれど、私の父は陶芸家で、初期は1点ものではなく型を作る仕事をしていたそうだ。
量産やコピー、名もなき多くの人々の群衆性と個々のドラマティックに共感している自分がある。コピーをテーマに服を作ろうとしてる理由は、自分の生まれる前からなにか受け継がれてきたものらしい。琳派でいうと鈴木其一的に、世の中の美しいと思う部分を最新の時代に生きる人として強調していきたい。

FIACアートフェアでおもうモード

November 1, 2016

  • Diary
先週fiacという、パリで行なわれている世界的な規模のアートフェアに行きました。そこで自分がコンテンポラリーアートが好きな理由が腑に落ちた。
現代アートは、いまに対する批評性。これでいいのか?という問いかけ。それはそっくりモードのあり方と同じだ。
今のスタイルとこころや環境とのずれを感じ、もっといまに生きる人はこうあるべきだというイメージを作っていくことがモードのデザインだと思っている。ちょっと言葉が堅いけど。。
以前、ファッションでいう軽さって何?と聞かれたことがあるけど、その答えとしては、時代に乗ってるということだと思う。時代の価値観と少しでもずれていると、風になびかない、現代との交流のない”石のように固まった状態”に見える。そしてそれは、トレンドや流行以前のデザイナーの頭の中にあるものが左右してるものだとおもう。最終的なデコレーションのまえ段階の話。フリルをつけたら今年っぽいとか、そういう問題ではない。そういう意味ではシャネルの昔の服は今見ても風になびいてるものがあったりするからやっぱりすごいと思うのだ。

奈良さんの作品を初めて見た私が10代のころから、描くものやフォルムは変わっていない。その中で新たな質感の彫刻作品や写真作品から、1人の作家の奥行きを感じられる。先日発表された東京のファッションウィークでの知人のショーでは、半年前発表された良かったものたちが全く刷新されて新しく作ったパターンで、素材で発表されていた。洋服のデザイナーも、気持ちの面では作家であった方がいいと思う。一つの原石をあらゆる方向から磨き上げていく努力をするのが本当でありたい。それが自分のブランドを構えた人のやるべきことだと思う。

私がfiacから出る前にもう一度奈良さんのブースに行こうと歩いていた時,日本人同士が話している声を聞き顔をその方向に向けると奈良さんがいた。声をかけたりはできなかったけど、理想的な作家像として私の中で君臨し続ける本人の存在を目視できただけでありがたい。
大きな丸いフォルムの真っ白い女の子の頭の、紙粘土が乾いてきたときの様な脆さのある表面。を理想とする奈良さんの繊細なものづくりを励みにこれからも頑張りたいと思います。

もうすぐ30歳

May 3, 2016

    最近の私が人から聞いた言葉で残っているもの。

    某女史がいつまでも続けていられる理由を聞かれた時、自分がおもしろいと思ったものしかやっていないと言っていたそう。
    ファッションがわかった瞬間(ファッションビジネスが見えた瞬間)、その人は消えていく。だって。何かよくわからないはざまのブレが、ファッションの魅力をつくる。なんかひさしぶりに熱くなった。

    トレンドに流されないものづくり。といっても、MUJIとかそういうことではなく、いつまでたっても価値を感じるもの。ユーズドの売買で、ずっと価値がある(むしろ値段が上がる)洋服には、そのものの作品性がある。そのくらいの強さがあるということ。トレンド的に良いものじゃなくて、10年経っても価値がある洋服を作りたい。

    デザイナーはアーティスト!とよく言う新しい会社のアトリエチーフ。そういう環境が、わがままを許してくれる周囲の人が、ある意味でデザイナーをたらしめてくれている、そんな環境。

    決心

    April 3, 2016

    • Diary
    私自身30歳を目前に、抱える女性性の悩み。
    幼い頃からものづくりの中で生きてきた私にとって、それ以外のことが考えられず、ずっとデザイナーとしていい仕事をしたいという気持ちを抱きながら、今に至る。
    海外旅行にも行けない貧しい田舎の家庭に育ちながら、出会う人に恵まれ、なんとか今パリで一流のメゾンに近いところで戦いを挑んでいるところ。
    そして今、偉大なデザイナーが没しまた生まれるこの地で、私もこの世界に一筋の生きる希望を刻みたいと、真っ向から世界に挑戦したい気持ちでいる。
    職業人として、使命を全うしたいという気持ち。

    それに対して、女性性としての私は全く逆の感情を抱く。
    現在離れて暮らす旦那と早く再会したい。早く東京に帰りたい。子供がほしい。毎日安心して眠りたい。女として生きたい。

    両方の思いが強くなって、アンビバレントな感情に体が裂かれる思い。お互いがお互いを殺している感じ。
    離婚をすることも、子供を育てながらゆっくり仕事をすることも考えた。けれど、どちらも私の本当に望むものじゃない。


    そして、今の働く女の人が多い時代、このアンビバレントな感情を抱えながら生きている人はたぶん私だけではないと思った。
    仕事で重要なポジションを任されながら、女として好きな人と大事な時間を過ごしたいと思っている人たちはたくさんいると思った。

    ずっとコンテンポラリーな女性像とは何か考えてきたけれども、これは、感情を込めて、今を生きる現代の女性像だと言って良いと思う。
    フレッシュでとがった、ファッションヴィクティムな洋服や女性像は作れないけれど、
    今の働く女の人がより自分の気分に近しい、安心できる心のブランケットみたいな洋服を、自分の今まで培った経験を元に形にしていきたいとおもう。

    欲望とエレガンス、

    March 30, 2016

    • Diary
    サンローランは女性にパワーを与えた、シャネルは女性たちを解放した。アルベール エルバスは、女性に何をもたらせるか考えた。
    もし私が日本にいたら、歴史に残る偉大なデザイナーになりたいと考えたことがあっただろうか。
    だったら私は、現代の女性にいったい何をもたらせるだろうかと考えたことがあっただろうか。
    ​知人が参加していることもあり、今回の東京コレクションは割とよく見た。
    日本のブランドのコレクションを見ていて、すごく鎖国のスピリットを感じた。
    純粋に自分の好きなことをやるという精神、それは美しいけど、結果的には世界を見れていない、っていう結果に映る。
    服をコレットに置きたいのか、日本で身近な人に心地よい服を売りたいのか。
    どこに目標を置いてるかにもよるけど、パリに住みながら日本のファッションウィークを見ると、遊んでるようにしか見えないブランドがたくさんある。実際あまり本気ではないと思う。
    歴史的な老舗で、大規模なブランドで、急拡大した新しいメゾンで、期待の新星として、しのぎを削ってるっていうのはこういうことなんだなと思える、パリのショーに参加するそのレベルのブランド。
    世界で生きていくために、オンリーワンであり、ナンバーワンを目指している。時代的に、激しいクリエーションではないけれど、時代の牽引者になるために、新しい価値を本気で探しながら、ブランドをやってる。
    ショーはプロモーションであり、広告だから、多くの人に見てもらいたいっていう意思があるはず。
    そういうプロモーションをするときに、
    デザイナーの小さい島国で培った価値観を見せられると、チーンとなってしまうところはある。
    この色使い、モデリズム、思考、グローバルな世の中に、この狭き価値観!?洋服のデザイナーという立場で!?と思ってしまう。
    むしろ、海外にいて戻ってきても、日本で暮らしているとヨーロッパが遠すぎて忘れてしまう部分があると思う。
    この前のcoromozaでやってた座談会でも、私たちぐらいの世代のわりと弁が立つ人がいたけど、的外れな印象を受けてなんとも言えない。。あなたの好みを聞いてるんじゃなくて、時代をどう映しているかが知りたいんだよ。っていうところ。
    ライターとかバイヤーは世界のファッションサーキットに乗って仕事ができるけど、ある意味日本在住の中流階級以下の若手デザイナーっていうのは、めちゃくちゃ不利。しかも海外歴のない人が、日本在住でデザイナーとしてグローバルに活躍していくっていうのは、それ故の独特な感覚を誇張する方法しかないのでは。中途半端では、難しい。日本独特の、隠れた美徳とか、ゆるさとか、ストリートを、より誇張して、分かりやすく落としこむ目が必要だと思う。ショーをするならなおさら、世界を見てる人たちに、おもしろいブランドと認識させなければいけないから、島国の価値観は寒く映るとおもう。
    自分が今やっていないから言えないけれど、備忘録として。


    スタージュを探す上で、老舗ブランドに入って仕事をすることを現実的に考えたり、実際面接で内部に入ったり、歴史を調べたりしてよりパリのブランドを身近に感じることができている。今日、ランバンに行ったけれど、アルベールエルバスはここで仕事していたのかなあとか、意外と新しい簡素なスタジオなんだなあとか、実際のことはわからないけど、現実的にトップレベルのプロフェッショナルたちが働くことを想像する。


    最近エレガントというキーワードをよく考える機会があるけれど、
    エレガント=上品というのは、見えないところに宿る気配だと思った。
    porterは、フランス語で持つという意味の単語だけれど、着る、支えるという意味もある。
    服を着るということは、体や生きること自体を支える、という意味ととらえてもいいと。
    ディーオルは、エレガントとは全て、と言った、見えないところまでの配慮がエレガントだと
    サンローランは心のエレガンスなしにエレガンスはないと言った
    シャネルはだいたいの女は着飾りすぎていて、エレガントじゃない
    と言ったそうだ、
    AV監督の仁村さんがコラムで、品がいい人が一番モテる。品がいい人は、自分の欲しいものを知っていて、欲しくない物は欲しがらないから品がいいと言っていた。自分の欲望を探すことが、上品になることに繋がると。例えば仁村さんはAV監督だから例としてこう挙げていたけど、自分の欲望を知っている=どんなセックスをしたいかを知ってる人。自分がどういうセックスをしたいか追求することがエレガントだということに繋がるという展開は、結構おもしろくて目から鱗だった。

    体のフィールド

    December 15, 2015

    • Diary
    20代前半くらいの、若い人たちからよく、リアルな服が作りたいと聞く。
    私は近頃、リアルなものの中にファンタジックな何かとか、高揚感とかを感じれることが良いなあと、思ってきた。
    リアルな洋服を作ってきたこの5、6年間。図面化された洋服の下絵(平絵)を元にして作る服は、実際も、感覚的にも予想のサイズ感を越えない。
    良い服、良い体の捉え方をしてるなあと思う写真など見たとき、体はこんなに大きかったんだとか、こんなに見所があったんだなあと思う。
    時間をはしょるために、写真の土台の上にデッサンすることは効率的だけど、もう少し、自分の体の捉えかたを可視化するためのデッサンに描きかえたい。​

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