若い頃FURUITSという雑誌がバイブルで、原宿の道端に座るロリータやデコラ、サイバー、古着な子たちに憧れた。インターネットを知らない時代、その服はどこで手に入るのか、本当にこの街は存在してるのか、情報に保守的な田舎の家で育った私にとって雑誌の中のことはある意味ファンタジーであった。その中フェトウスというサイバーブランドの通販を取り寄せて、お年玉でその範囲で買えるカットソーとかを買ったな〜という、甘酸っぱい思い出がある。。。。。
ユースカルチャーを扱うブランド、多いなあ〜と思っているんだけど、あまり好きではないと思ってるんだけど、ふと今の東京の若い子がしてるサイバーなファッションを見た瞬間胸熱になる。
人は若い頃得れなかったものを求め続ける、とか中学生時代の自分を許すためにがんばり続けるとか聞くんですけれども、自分のユースの時代に背を向けてきたものとして、自分とユースカルチャーのつながりにもう少し思いをめぐらせてみたいと思いました。
大人だから、成長したからこそ求める、ユースカルチャー。ってあるなあ〜と。
大人になってから感動するものや映画、音楽は数多くあるけれど、若い頃に熱狂したヒリヒリ感を越える感情とは別物で、タイムカプセルのように一旦埋めたら追加できないものなんだと思う。