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本当に手渡したい服

最近の仕事の中において、企業は成長すべきとか売り上げを伸ばすべき、という観念にどうもつまづいてしまう。

もっと平たい感じで言うと、普段やる気を持っていつも働いているものの、ふとどうして半年に1回ドラスティックに印象を変えたコレクションをやるのかを自問自答してしまう。

エコフェミニズムと言う概念に出会ってからは、より今の資本主義だけが世界ではないと思うようになってきてしまった。あまり詳しくはないので引用すると、エコフェミニズムとは人間による自然の搾取が引き起こす環境破壊と、男性優位の社会の中で女性を取り巻く不平等の根本の構造は同じで、この価値観をオルタナティブなものに変えていかなければどちらの問題も解決しないという考え方に基づくもの、だそうだ。

エコフェミニズムにはいくつかの種類があって、スピリチュアルな要素を含んだものもあるが、今よく考えたいのはソーシャル・エコフェミニズム。男性と女性という分け方よりむしろ支配 / 被支配という観点で見た、資本主義経済のシステムの中で利便性や経済性を重視することによって、人にも環境にも害が及ぶという考え方。家父長制的経済システムの中でないがしろにされてきた、身体や命やメンタルヘルスを重要視するということと、環境や自然を守ることは通じている、ということ。

このエコフェミニズムの実例は、調べると環境問題(水質汚染や森林伐採などの)が多く、それに気づき問題提起するのは女性が多いという内容で、調べるうちに私がもやっとしている内容とこれはまた少し違うような気がしてきた。

家父長制や資本主義によってより多くのものが消費されている事実はあるので、不要なまでにものを生み出したくはないという話には繋がるが、作った服を多くの人に届けたいという思いはある。(これぞ!という服こそ地味すぎて広がっていかない昨今なのだけど、、)

人生にはたくさんの支出があって、服より大事なことがある。必要な服だけを買ってほしいし、適当に着ない服を買わないでほしい。特にウィメンズは、いつも新しいものを求められるし、お店に並ぶ服は華やかさを意識しているから、本当にいつも着るものとのギャップも生じるのではないかな。

いつも百貨店や大手セレクトショップで丸い肩の服を買っているような生真面目な女性が、少し肩の尖った服を着たときにその人の強さや存在感を可視化できる装置になれれば嬉しいと思っている。

とはいえ、、先日行った地元にあるオーベルジュのレストランsowerでの大変美味な料理の中に秘めたアグレッシブな内容や突き放す風味は、自分の食体験を新たな領域に届けてくれるものであったし、それを服に置き換えると、毎日着れる服だけが必要な服というわけではなく、ある一日のためであっても、新たな領域に連れて行ってくれるための服もまた必要な服と言える。

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