量産を進めながら新たなシーズンのことを考えている。この時期は通勤途中などに何が本当に必要なものなのかをずっと考えている。
ずっと考えながら、いつもの生活の中で、いつもとは違う土地で、故郷で、友人との対話で、始めて会った人とのやりとりで、見つかっては更新されていき、手を動かしながら、生地を見つけながらの過程でだんだんコレクションが立ち上がってくる感じだ。
最初はフレッシュなものに惹かれた。若々しくて軽やかなもの。大胆なもの。分かりやすい提案を心がけて頭の中で計算しながらコレクションを組み立てようとする、蒼いジェネレーション。
蒼いジェネレーションの後には挫折があり、もう少し周りを見ようとする。現実の中での必要性を考える。現実的な着地点と共に、より明確なアイディアが出てくる。素材を生かすところからデザインは始まるので、見初めた生地のより生き生きした状態を探る。
トライ&エラーを繰り返し挫折を何度もしながら少しずつ形になりながらも、本当に求めているものの着地点は見えない。いつだってテーマは最後まで(最後になっても)決まらない。
様々な外的要因もコレクションを作る。思いがけず生まれた異物も、一つのアイデンティティとしてブランドを形成する一つの細胞となる。
そういえば現在Camille Henrotがオペラシティで展示をしており、数年前に見たPalais de Tokyo(パリ)の Days are dogsの展示が衝撃的(というか、やさしく犯されていく感じがとても気持ちよく興奮した)だったこともあり、数年ぶりに作品を拝見できた。
多くの神話をリサーチし自分の解釈で感覚的に新しい一つの神話として編集し成立させていくその物語の中には、整理しながらも溢れてしまうものや予想外に生まれるものがあり、それを受け入れながら世界は構成されていくという。実に女性的な編集の仕方に、本人の話す姿に優しく革新的な気分になった。
答えのないことを良しとしているわけではない。できるなら単純な答えを作って安心したいけれど、分かりやすいプレゼンをして納得させたいけれど、物事を明確にすることでゆらゆらした気持ちの移ろいが消え去ってしまわないかの方が不安である。
できる限り緩やかで生々しいままの状態を保ちながら思いを届けたい、
分かりづらい真実よりも明確な作り話に引っ張られがちな世の中だけに、
自分に起きた、自分の感じた本当のことだけに情熱を持って生きていきたい。