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March 25, 2017

4年間日本のアパレル企業でデザイナーとして働いたあと、パリに来た。学生として、言葉も、モードのルールもわからなかった学生の1年目。フランスの企業でモデリスムとフランス語に勤しんだ2年目。3年目、デザイナーアシスタントとしてデザイナーの近くでその判断に身を任せつつ自分とのギャップを精査することで精緻な理想を積み上げてこれた。
更に去年30歳になり、今までわからなかったことの多くがわかるようになってきた。自分の出地や、もののあり方についてなど。既に全ての発見を細かく思い出せないけれど、徐々に自分の芯がしっかりしてきて、ぐらつきが少なくなってきたイメージだ。
デザイナーアシスタントとしては3つのメゾンで働いたけれども、いつでもその中心に自分がどうありたいかを据えることができていた。合理主義的に教育されてきた身として、それは一度会社に入ってしまうと簡単に曲がってしまうもので、今この最大限尖らせてきた理想をどの方向に向けるかという状況になってきているわけだ。

幼いころ、使い捨てカメラを初めて持ったときに、切り取ったもの、構図、撮りたいと思った気持ちを覚えている。
旅行先の遊園地の土産物屋に並んだ、カラフルな量産の小皿の、同じものが重なっているのがきれいだと思って横から撮った写真。本能的に撮った記憶がある。
そのころ両親はもう離婚していたけれど、私の父は陶芸家で、初期は1点ものではなく型を作る仕事をしていたそうだ。
量産やコピー、名もなき多くの人々の群衆性と個々のドラマティックに共感している自分がある。コピーをテーマに服を作ろうとしてる理由は、自分の生まれる前からなにか受け継がれてきたものらしい。琳派でいうと鈴木其一的に、世の中の美しいと思う部分を最新の時代に生きる人として強調していきたい。

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