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November 1, 2016

先週fiacという、パリで行なわれている世界的な規模のアートフェアに行きました。そこで自分がコンテンポラリーアートが好きな理由が腑に落ちた。
現代アートは、いまに対する批評性。これでいいのか?という問いかけ。それはそっくりモードのあり方と同じだ。
今のスタイルとこころや環境とのずれを感じ、もっといまに生きる人はこうあるべきだというイメージを作っていくことがモードのデザインだと思っている。ちょっと言葉が堅いけど。。
以前、ファッションでいう軽さって何?と聞かれたことがあるけど、その答えとしては、時代に乗ってるということだと思う。時代の価値観と少しでもずれていると、風になびかない、現代との交流のない”石のように固まった状態”に見える。そしてそれは、トレンドや流行以前のデザイナーの頭の中にあるものが左右してるものだとおもう。最終的なデコレーションのまえ段階の話。フリルをつけたら今年っぽいとか、そういう問題ではない。そういう意味ではシャネルの昔の服は今見ても風になびいてるものがあったりするからやっぱりすごいと思うのだ。

奈良さんの作品を初めて見た私が10代のころから、描くものやフォルムは変わっていない。その中で新たな質感の彫刻作品や写真作品から、1人の作家の奥行きを感じられる。先日発表された東京のファッションウィークでの知人のショーでは、半年前発表された良かったものたちが全く刷新されて新しく作ったパターンで、素材で発表されていた。洋服のデザイナーも、気持ちの面では作家であった方がいいと思う。一つの原石をあらゆる方向から磨き上げていく努力をするのが本当でありたい。それが自分のブランドを構えた人のやるべきことだと思う。

私がfiacから出る前にもう一度奈良さんのブースに行こうと歩いていた時,日本人同士が話している声を聞き顔をその方向に向けると奈良さんがいた。声をかけたりはできなかったけど、理想的な作家像として私の中で君臨し続ける本人の存在を目視できただけでありがたい。
大きな丸いフォルムの真っ白い女の子の頭の、紙粘土が乾いてきたときの様な脆さのある表面。を理想とする奈良さんの繊細なものづくりを励みにこれからも頑張りたいと思います。

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